みなさま、こんにちは。
久しぶりにフランスに住み始めて約1年半が経ち、フランスという国、そしてキャラ濃いめフランス人というのは本当にインスピレーションを与えてくれて、私がどうありたいのか、私の100%本心での好み、私という人物を完全に確立してくれるなあと感じています。
以前、本当の『人生は一度きり』という意味は、この魂は肉体というボディスーツ=着ぐるみを選んで、人生60年とか100年とかその人によって違いますが一生を過ごします。このボディスーツは1度きり使用可能。次に生まれ変わった時は違うボディスーツを選んで全く違う人生設定を生きることになるというお話をさせていただきました。 詳しく知りたい方はこちらの記事を読んでね ☟
ということは、私は今世の設定は、
- Haz-kiという人間
- 女性
- 黄色人種
- 日本人
- 日本国+関西育ち
- 家庭環境は両親+姉
- 小柄
- 黒髪+ダークアイズ
- ヨーロッパをうろうろしてるノマド気質
などという設定を授かっていますが、前世や次はもしかしたら男性かもしれないし、どこかの名もなき小さな村で自給自足設定かもしれないし、戦いに参加しないといけない設定かもしれない。それは私にはわかりません。
しかしわかっているのは今世の設定は日本人女性の背景を持つHaz-kiである。ということ。私は正直これって相当ラッキーで当たりクジだと思ってる。だって便利で安全でモダンで人々も穏やかめ。ちゃんと教育も受けさせてもらえる環境で、インフラも整っている。何でも世界中から集まってくる。いろいろ見て来て他国と比較すると本当に安心して毎日が暮らせる設定ってだけでありがたいです。
でも、昔は海外への憧れが大きかったのでそこに完全に気づいてなかった時期もある。日本はこうすればいいのに〇〇人はこうだから私もこうならなきゃって大好きな外国や人に合わせるために、馴染むために、って真似っこしようとしてたアホな時期ね (笑) でも今ははっきりとわかります。それって個性をつぶしてるし、今世の設定を完全に無視し侮辱し本来の自分自身を全くわかってない行為だということ。他人になろうとか他の誰かの基準に合わせて気に入られるために生きているということをね。
日本人ならではの感性や今まで日本人として経験してきた上で身に付けたもの、日本というバックグラウンドで授かった感覚や所作を誇りに思い今の私はこの日本人女性という設定を思い切りMAX楽しんで堪能して優美に自由に生きていくことにしようって決めました♡そこで本日は以前の私の超ブレブレエセ○○人になりたい病を参考にどういう点なのかのお話をしたいと思いまーす。
その① : 生まれ持った容姿を最大限に愛し活かすこと
たまに日本のニューストピックで、釣り目のジェスチャーをして差別に抗議!!!みたいな話題見かけますよね?私もちょっと前までは、ひどいわ~とかって思ってたんですけれど、いや待ておかしいぞと。いつから釣り目はダメ定義になったのだ?とね。これはアジア人は劣ってる等の刷り込みというか未だ蔓延る謎の他人種による勘違い系の優越感 (正直何十年前の話やねんって、今やアジアないと世界経済は回らないし) そういう時代遅れの情報アップデートが完全にバグってる人々に対しては、
それはおたくの信じたい事で好みなんでこっちに話しかけないでいただけます?うっとおしいんで。っていうかアンタ誰?
で華麗にスルーすればいいだけの話なんですよね。釣り目はチャームであり、アイデンティティー。引け目や劣等感を自分に感じさせているのは自分です。自分が良ければ他人の好みや価値観なんてどうでもいい。ましてやどうでもいい人の戯言や好みなんて華麗に既読スルー的な感じ?誇れアジア人→日本人としての自分の容姿を♡私たちはどこでもEVERY DAYかわいいから。
その② : ごめんなさいは素直に言う
昔どこかで欧米人 (これまた雑な括りで草)は謝らない、なぜなら裁判沙汰やもめごとになったら不利だからって聞いたことありません?確かにそうかもって思います。これは○○人がとかではなくその人個人の性質にもよるけれど。でもフレンチ-はねこれのキング&クイーンかなって思う時があります。言い訳がとにかく多い。で、しれっとごめんなさいをうやむやにする。
私が欲しいのは私が求めていた結果や回答であって、それが提示できなかった能力不足のおたくの自己防衛のための創作ストーリー=言い訳ではない。
日本人は謝り過ぎって言いますけれど、必要な時はごめんなさいが先。必要以上に謝る必要はもちろんありませんが。求められていたことができなかったことや相手を不快にしたことに対する謝罪は当たり前。このセンスって日本人だからできることで別に謝ることが負けだとか変な勘違いで言い訳するより申し訳ないと思ったらごめんなさいを素直に言えるって本当に美しい姿勢と思う。
その③ : 強い女性とヒステリーや愛想がないは同義ではないと知る
昔読んだ本に、欧米人(度々登場するこのパワーワードw) は自立した女性は強くないととか強い女性がモテるとかw でも、いろいろと実際の欧米人のサンプルを目の前にし、ただただひたすらイライラしてるだけじゃね?って感じのヒステリーや愛想がないだけの女性も結構いるんだなって学びました。
果たして強い女性とは何ぞや?と考えてみた。
こんな感じかな。日本人は争いを好まないというか穏便に済ませようとしますよね。私はか弱い方ではないですが、日本での環境ではちゃんと穏便にしていたし、どちらかというと近年無駄に争うというかアグレッシブにGo Go自己主張っていうのが心地よくないというか。主張しないと海外ではやっていけないと言うかもしれませんが、無駄に戦わず、必要最低限で発動させればいいかなと。今流行りの省エネね。私はいつも肝に銘じてること。
Float like a butterfly. Sting like a bee. (蝶のように舞い、蜂のように刺す by モハメド・アリ)
無駄なく優雅に、でも刺す時は渾身の一撃で仕留める。の精神。やはり日本人のアイデンティティーを受け継いでるので日頃は穏やかに生きたいと思います。
その④ : 日本女性のセンスや好みを肯定する
先日の記事にも書いたのですが ☟
例えば私の場合ですが、フランスにいるからとか、フランス人にいいね♪してもらえるからとか、フレンチー男子にモテるからという理由で無理やりフランス風に寄せていかなくってもいいかなというのが私の結論です。もちろん自分がいいな好きだなと思っているなら全然OKとは思いますが。
私の好みは私が決めるわけで、他人にいいねしてもらうために決めるわけじゃないから。例えばですけれど、前述の記事で触れたフランス女性のデコルテ露出についても、出したければ出しゃいいし、出さなくってもセクシー&魅力的な雰囲気を醸し出せる人は存在するわけで。フランス人のいいね基準に合わせなくっても素敵な人は素敵なわけで。要は自分スタイルをブレなく楽しんでいるか、自分の個性を100%発揮できてるかじゃないかなあと思うのです。他人のために生きるわけじゃない、自分が好きでいいわ~って思う物で身を固めればいいのでは?と最近は思います。日本人女性はかわいいもの好きとか言われますけれど、いいと思います。だってかわいいもんw フレンチ-はビビッドな色とか大振りの小物や柄や大胆なデザインとか好みますが、私は小花柄やパステルカラーも好き。大振りの小物はつけません、ガチャガチャしてるし、デザインや材質によっては安っぽく見えるから。繊細なデザインが好きだとか淡い感じが好きな人が多い日本人の傾向かなと思います。それはそれで個人の趣味や基準でOKと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました♡
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