君たちはどう生きるのかの問いに答えられる?どこに狙いを定めて生きるのか

世界中を庭のように優雅に遊ぶ方法 世界幸せマインド

みなさま、こんにちは。本日は『君たちはどう生きるか?』という映画があるように私たちは何をするためにこの世に生まれてきたのか?どうやって生きて行きたいのか?結局何がしたいのか?についてしっかりと決めて行くと毎日が感謝祭&収穫祭だよーというお話をしたいと思います。

実は私『君たちはどう生きるか』の映画を見ていないのですが話題になっていたのでタイトルだけは知っている。内容はさておき、意外と自分はどう生きるのか?生きたいのかの焦点が曖昧というか、忙しいとか自分自身に意識がいかず周りに流されて生きるというのがノーマルなこの世の中で、考えて→実行・実践して生きている人って少ないのではないかしら?なんて思うのです。昨年9月からずーっと潜在意識のスクール仲間と今も定期的にフォーラムでブラッシュアップのためにやり取りしているので温度差がよくわかる。気づいている人は気づき始めた世界観(もともと存在していたけれどね)

  • 全部は自分の内側にもともとあった
  • 自分の意識(日頃から考えていること・信じていること・望み)が全て現実となっているだけ
  • 自分の欲しいモノや望むモノは人それぞれでそれを見つけ達成するために生まれてきた
  • 外側の情報のあれこれは上記のことに気づくのを妨げる要因でしかなかった

だから結局は私たちがすることは自分自身とガチタッグを組み、話し合い、何がしたいのか、どうありたいのかを体現することであるというシンプルな人生ゲーム。ここで大事なのは、本当の自分を知り、主体的に生きてそしてそれを実行するということ。いうなれば目の前の出来事=現実に翻弄されて生きるのはなく、しっかりと自分で目の前で起こる現実の手綱を握り生きて行くこと。間違っても社会のルールに沿うこと、社会の言う勝ち組に自分を寄せていくこと、なんならそれ実は自分のしたいことじゃなかったけどなんとなくいい感じって誰かが言うし~的な幻想の中で生きることではないんですよね。世の中の枠で与えられるものでやりくりして私たち本来が持っている考える・感じるとか新しく生み出す力を使わずに能動的に生きるということ。私はむかーしそれをやっていたので今思うと何をしていたんだろう?って思いますが、まあ好みの問題。

君たちはどう生きるのか?この問いにしっかりと答えられるような生き方ってブレがないし迷い子にもならない。ちゃんと自分はこれが好きでこれは絶対やらないというのを知っているし、人との違いに戸惑うこともないので異なる者(物)に対してもふーん、そうなんだでスルーできるし、何しろ自分はどこへ向かって生きているのかがわかっているので迷いも摩擦もない在り方なので自分自身に集中できるし毎日が楽チンで楽しい♪こうやって生きて行くことにコミットし邁進している私が現時点で見えてきたこれをしっかりと意識していきるといいかもっていうポイントを今日はお伝えしまーす。

その① : 外側の目くらまし大作戦情報が生きづらさの原因な事実

この世の仕組みを知った時本当に衝撃的だったわw 完全にあれ?なんか世の中のシステムおかしくね?って明確に悟ったのは私も実は疫病騒ぎ開始の頃です。 まあ詳細はご自身でお調べいただくとして、

外側であれこれと巻き散らかされている情報は目くらまし大作戦的な感じと心得る。

この一言に尽きる。もちろんいい情報もあるけれどちゃんと自分がどこへ向かって生きたいのか(幸せだとか本当の自分の好きに従って生きるなど主体的な姿勢ね)が定まると自ずと見定めることができるので心配いりません。

  • これがイケてるよ
  • これが理想の生き方だよ
  • こんなひどい事があるよ・危機的状況だよなどの恐怖や怒りや心配ベースで拡散
  • これみんなもやってるよ、当たり前だよ
  • 有名人のゴシップ
  • 今こうしとかないとヤバイよ
  • 有名人やスポーツ選手などのエンターテインメント要素
  • グルメ情報で幸福感を(食べることはさほどお金がかからないので比較的万人がアクセスできて欲が満たされやすい)

こんな感じのものが98%(私調べw)を占める外側情報。これが意味することは、ド派手でインパクトあるスペクタクルに注目を持っていかれ、インスタントに欲が満たされるもの情報で外へ外へ意識を向けることで本来自分は何をしたかったのか?自分の人生を生きるということを忘れちゃってどうでもいい他の事に夢中になる骨抜き人間の人生です。

お外もいいですけれど目くらましです、私たちにはほぼほぼ実用性のないもの。俯瞰してへえー的なエンターテインメントとして楽しみしっかりと自分へと関心を向け、私はどうやって毎日を過ごしたいのかな?私のしたいことをしようと全身全霊で自分を生きましょうね。

ちなみにド派手な外界情報=メディア情報が発信されている場合にこの視点で分析するクセを身に付けると目くらまし大作戦にはひっかからなくなりますよ 

さあ、目くらまし大作戦を見破ろうか?
  • この情報で感じる感情のトーンは何?(怒り、あせり、恐怖、先行き不安などを扇動?)
  • この情報で誰が得をするのか?(人、どの国、企業などぶっちゃけると儲かるのかw)
  • この情報の裏で平行して進行している出来事は何なのか?(目くらまし作戦ね)

その② : あなたの常識は誰かの非常識

世界中を庭のように優雅に遊ぶ方法

あなたの常識は誰かの非常識。これはさきほどの外側へ外側へ意識を向けている人は他人がどうのこうのとか言っている。れは自分基準を押し付けているだけで自分にとっては何の実りもない発想であり時間です。

パリのカフェのテラス席って椅子の並びが横並びが多い理由を以前聞いた時にへえ~そうなんだ~ってへえーボタンを100回くらい押したかったんですが、何故か知ってます?

道行く人々の服装や姿勢や雰囲気を批評するため

これ一人じゃなく何人かのフレンチーから聞いたのであながち嘘ではなさそう。そして私がパリ出身者だけではなくいろいろな地域出身者と関わって持った印象と意外に合致しているなあと思ったんですよね。フレンチー女子は意外と比較(マウンティング)がお好きっていう ☟

他人についてあれこれ言っている時、あなたは自分のことがおざなりになっている。そして自分の毎日に自分のことに夢中になっていないし、究極自分のことに自信がなく人生がつまらないからお外が気になるということなんですよね、勝った気分を味わいたいから、自尊心を保ちたいから、今現在の自分がどうなっているのかを知りたくないから。もし自分がどうしたいに専念しているとお外はどうでもいいし、時間もないです、一生懸命でリア充だから。私の尊敬する方が言った言葉に納得した。

他人をディスったり、意地悪したりする人は自分の人生がつまらないから。要するに暇なのよ。だから外ばっかり見てるの。そんな人は放っておくの、他人のことは関係ありません。

そして自分の感じていること・意識を向けている先が自分の未来を刻々と創造しているとわかっていれば自分の常識で他人を批評していることが何を意味しているのかが分かるはず。大事なのは自分、見つめるのも自分、比較するなら昨日の自分とね。

その③ : この世界は平等ではない

めっちゃ究極論を出しちゃったけれどもw みなさまもわかっているはずです、この世界は平等ではないということを。いや平等であるべきだという理想論では生きていけないんですよね。生まれた地、環境、境遇、自立できるまでに与えられてきた物や機会、自らに体験すると選んだこと、入ってくる情報そして現状などなどやはり差があります。でもね、私たち日本人として生まれてきたから言えるのですがめちゃくちゃ大事なことを言いますね。

時間と知る』という行為そしてそれを実行させることができる環境や機会は平等

時間は大富豪でも1日24時間と決まっている。そして知るという行為で実際に動くかどうかは日本人として生まれて来た環境ならばできます。インターネットもあるしね、紛争もないしね、爆撃される心配もないしね(ショーグン様がたまにポンコツ弾飛ばしてくるけれども)、教養も与えられてるし、学ぶ環境も整っているし、なんでもある国だしね。それを使うことで平等を体験できる。使わなきゃ平等じゃなーいに浸って生きることになるのですが。知るという行為を使って私みたいに万人が持っている現在の状況も学歴も年齢も境遇も関係ない潜在意識を使った生き方を実行に移すのもあり ☟

いや私は私のやり方で生きるというのもあり、努力でのし上がるのもあり、それは好み。でもこんな可能性もあると知る→動くという行為を使わなければその先の一手は打てない。私たちの持っている『平等』な権利を活かしてこそなんです。

海外生活で学んだことは私たち日本人は恵まれている。よく女性の社会的立場が低いと言われるけれど、女性に働く権利さえ暗黙の了解で与えられていないとか、運転免許を取る権利が近年与えられた国だってある。おしゃれも好きなようにできない国だってあるし、識字率が低い(教育の機会が平等ではない)国だってあるし、女性は男性の言う事を聞いてモノ扱い(ちょっと言いすぎかもだがご本人たちは生まれてからずっとその扱いなので気づいてないけど)の信仰系だってありますよ、この広い世界。ないないに目を向けるのではなく今ここにあることを最大限に活かしていくという視点も必要なのではないかしら。そして私が日本で勤めていた企業は女性管理職たくさんいましたからね、どこに属するかで違ってくるという視点もね。

君たちはどう生きるのかの問いに答える/どこに狙いを定めて生きるのか

私はずーっと勘違いしていたことがあります。そうお外を見つめて三千年(嘘)、お外の当たり前を自分のミッション・行先と勘違いしていた頃ですね。

oops勘違いの私が海外でしたかったこと
  • 日本と海外の橋渡し
  • 日本を知ってもらう
  • 世界中を全て見て知る
  • 世界中の人と分かり合い、なんなら世界平和(デカい夢だなw)

100%素の、そして無駄で外側の目くらまし大作戦にひっかからなくなった私の今ですか?それ、胡散臭いし、どこからそれを仕入れて盲目的に信じてたんだろう???と不思議でならない。今や意味不明な発想だなの領域。

今の私がただしたいこと
  • 世界中ではなく私の好みの場所のみで優雅に過ごす(優美・上品・自由・洗練・好奇心を満たす)
  • 興味のないこと・人はどうでもいい
  • 世界平和は自分がハッピーで自分を生きれば全ては繋がってるから勝手になるっしょw
  • 私は潜在意識で私の最高の現実をどこまで生み出せるのかゲームに夢中
  • 同じ方向性を持つ仲間たちと楽しく生きる
  • 私から見た世界を発信する、伝える

それにしか興味がないし、毎日忙しいです。いかに自分の生きる現実世界を理想に合致させていくかしか興味がない。

海外で暮らしていると、あ~○○人も同じ感じなんだなって思う一方でイヤ、もう次元が違うレベルで考え方や習わしが違うんだなっていうグループ(多分わかるよね、海外生活してる人ならどのグループか)も目の前にいるんですよね、正直なところ。昔の外側情報に汚染まみれだった私なら、いや分かり合える、仲良くしないとって思っていたと思うのですが無理なもんはムリで必要あるのかって言われると全く不要なんじゃないかなってw  そっちは他人に迷惑かけないで勝手にやってって感じで。まあ、時に迷惑かけすぎだろって思うけどね、盲信とは恐ろしいですな。

大事なのは私たちがどうありたいのか、どうしたいのか、どこへ向かって生きるのか?私はただただ私の興味のあるものに意識を向けてそれに囲まれて優雅に生きたい。やりたいことは全部したいし、欲しいものは全部ゲットする。自分の生み出す力=創造力をしっかりと使って活かして、主体的に生きたい。実体験でその感覚感情をしっかりと味わいたい、それだけ。

誰に好かれたいとかみんなと同じがいいとか認められたいとか世界平和とか超どーでもいい(笑)結局みんなひとりひとりが自分の人生に満足していたらよそ見せず世界は平和なはずだし。不足感や無価値感で上になりたーいとか支配したーいとかディスらないと自尊心保てなーいになるわけだしね。

みなさまは自分はどこへ向かって生きてる?君はどう生きるのか?の問いに即答できますか?

最後までお読みいただきありがとうございました。

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