ガチ理想の生き方探し/正解は人の数だけある

世界中を庭のように優雅に遊ぶ方法 海外暮らし日々徒然

みなさま、こんにちは。

本日のお話しは理想の人生、生き方は人それぞれで正解は各々のみぞ知っているというお話しです。

日本に帰ると実家に滞在するわけですが、街中で小学校や中学校時代の同級生にばったりと会う事もあります。そして年に数回しか顔を合わせてじっくり話す友人や知り合いなどの会話で感じることがある。

みんなそれぞれの道歩んでるな~。特に女性と話す感じる

  • 有名企業で勤続年数を重ねバリバリ働く人 
  • 役職付きになっている人 
  • 子供が名門校通いで子育てに専念している人 
  • 旦那さんが士業で有閑マダム的な人 
  • タワマン買った人 
  • 起業した人
  • 家族を支えるプロ主婦な人    etc.          

状況も環境もさまざま。ここ数年はっきりしたことがあるのですが、私ってば超絶世間一般のイケてる像に寄せようと頑張ってた、ホントの自分を世間体や変に思われるかもなんて気にして自分の本当の理想の生き方を否定していたなあということ。そして、みんなそれぞれの好みがあって千差万別だということで本人たちが納得していれば誰も批判はできないし、好きにすればいいってこと。

実は私達は生まれてからいろいろと周りの影響を受け、知恵をつけてもらい、周りと自分を見比べて、あれが足りないとかこれじゃダメ、なんて葛藤しながら生きていて、自然と一般的にイケてる像というものを追う人生を送る人も多いのではないかしら?

  • いい学校
  • いい会社
  • いい条件と言われる結婚相手
  • いいお家や持ち物
  • 自慢できる何か
  • みんなが持っているもの

これらを基準にしてしまうこともある。でも、ホントにそれって本心の欲しいもの?欲しい人生?好みのもの?じっくり自分の腹を割って自分と対話した時に意外と違うなって思う日が来るかも。私はそうでした。

以前はホントエゴの塊というか、見栄えのいい外資系企業 (給料ヨシ!でも蹴落とし合いやパワハラ上司がいた)、キャリアウーマンはかっこいいとかね、ブランド物ととにかく物。でも日本を離れたのをきっかけに冷静に自分と対話するようになりました。特に変わったのはワークライフスタイル。決まった時間に通勤と決まった勤務時間帯で週5日拘束されるのがホントに苦痛でフランスに引っ越したのをきっかけにフリーランスで働くことを選択した私。社会的身分は不安定で、日本ではクレジットカードも作れないご身分ですからねw でも私はこのスタイルがハッピーです。やることしていれば誰にも指図されないし。

対話の方法はノートにその日感じたことやあった出来事そして思いついたやりたいことなどを書いてただけ。ノートの詳しい書き方は以前書いた夢が叶うノート術の記事があるのでご興味のある方は見てみてね♪

私達は魂でガチ理想の生き方は魂が知っている/本人のみぞ知る

世間一般で古い表現で言えば勝ち組、イケてる、周りから一目置かれるみたいな生き方がありますが、本当の自分を探っていくと意外と違うってことに気づく。以前、私達は本来は魂であり、この世に生まれてくる時に自分が着ぐるみ=肉体や家庭環境などの設定を選んでこの世に存在すると決めてくると言うお話しをしたのですが ☟

未だにアクセスして読んでくださる方が多いのでその続きみたいな話をしようかななんて♪

私達は成長するにつれてどんどん見栄とか、他人に合わせることとか、目立たないように、周りからはみ出さないように、なんて世間の波にもまれていろんな贅肉みたいなものを着ぐるみに蓄えていってるんですよね。そんなことをずーっと続けてるとどうなると思います?そう本当の自分がわからなくなっちゃうんですよ。本当に純粋な自分の望みや好みが迷子になる。だから贅肉をなるべくつけないほうがいいし、ついていることに気づいたらそぎ落としをしないとね。

玉ねぎの層に例えるとわかりやすいかも。一層ずつ余計なものを剥いていって、芯のところが私達の魂=みんなそれぞれが本当に人生でしたいこと、純粋に好きなこと、叶えたいことを知っている場所。そのミッションをガチで楽しむために私達はこの世に生まれてきたはず。この層を剥いていく作業に最適なのが先程お話ししたノートに腹の中にためているものを全部書いて眺めるという作業です。

自分の魂が導いた答が例え周りと違う望みだったとしてもそれは自由。私の望みなんてこのブログのタイトル通り、この広い世界を庭のように優雅に体験して遊ぶ♡ですからね。日本でまじめに会社員している知人達に言ったら間違いなくふわふわした浮かれポンチ認定が確定なんで相手を見て話しはしますけど w 笑ってあなたらしいわと言ってくれる人達はまだ友達だし、でも年々友人が減っていくのは気のせいか? (笑) でも、同じ感覚や共鳴してくれる人はまだまだ未知数だと思うし気にしてはいないです。本当の素の私と交わってくれる人と仲良くしていきたいし、それが本当の友情ですから。

だから、他人と向かう先が違っていても、自分が間違ってるとか世間的に不正解とかそんなものは存在しない。当のご本人が幸せで自分の人生をめいいっぱい生きてるっ!って感じていることがその人にとっての正解。だから否定する必要もないし、正そうとかっていうのは違う領域。

私は今フランスの小都市に住んでいるのですが、ここにお住まいの方は生まれも育ちもこの地域が多く、地域自体が小規模なので全てにおいて選択肢が少ない中で生活していて (ほかに実はもっとあるって知らないので本人たちは気づいてないと思いますけれど w)、バカンスも国内のどっかの海(言い方雑?)でって感じなんですけれど、以前はせっかく近隣諸国にもパスポートなしで行けるし、異文化コミュニケーションで異国へ脚をのばしてみては?って思っていたのですが、それも私の好みであって本人たちにとってはハッピーで正解だと気づいた。私は同じ所ばかりにいると飽きるので、できるだけ多くの美しい景色を見たいというのがありますけれど、同じが落ち着くという人もいるから、それはその人の人生で達成したいことなんですよね。それぞれが好みを集めて、体験して毎日を過ごすのが人生。だからそれぞれが異なる好みであって当たり前。正解は人の数だけ存在しているのですから。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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