上下も優劣も極端な二極思考は息苦しい極小ワールドの住人

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上下も優劣の極端な二極思考の弊害

みなさま、こんにちは。本日はみんな誰もが持っているであろう二極思考が実は可能性をせばめ極めて小さな世界の住民として生きることになっているというお話をしようと思います。

知識人であればあるほど、真面目とか、周りに敏感な人とか、他人を気にしているルールを持って規則正しく生きている人ほどこの『2極に振り切った思考』を持っている人は多い。私も20代の若造だった頃w そうだった。

  • 正しいと間違ってる
  • 真実とウソ
  • 善と悪
  • 上と下
  • 優劣
  • 光と闇 などね

近年世間もこの両極端な二極的な考え方がめちゃくちゃ顕著になっていて反対派とか賛成派とかあれは常識で考えておかしいとか他人の土俵にまで乗り込んで言い合っているのをSNSで見かけたりします。まあ好きでやってるんだからいいんでしょうけれど厄介なのが自分の中にだけそれをとどめておかずに当たり屋や煽り系みたいに暴走してくる場合。私はそういうのを見かけるとそっと閉じます。美しい姿じゃないし見てると疲れるから。

先程挙げた私が以前持っていた二極に触れる考え方や生き方をしていると極小ワールドの世界の住人になり世界観も自分が創造する現実も小さなものになる。一つのものしか見えないしそれ以外が許せないし受け入れられないから。この生き方の弊害をちょっとご説明します。

弊害① : 新しいもしくは異なるモノの見方ができないのでチャンスを逃す

白と言ったら白!って思いこんでいるので他の情報が入ってきても拒否し、時に攻撃的にヒステリックに異なるものや新しいものに過剰に反応します。結果いつもとは違うルートからのチャンスも華麗に見逃す。だって受け取れない、いや受け取っちゃいけない。ここで引いたら負けみたいに頑なに拒否するから。

ちょっと違うことしたいなとか違う規模で行きたいなと思った時は受け取る間口は大きくしといた方がいい。

弊害② : 精神的そして肉体的に疲労困憊する

カチコチに頑なに守る振り切った思想や信念を守るのは結構肩がこるし、頭をぐるぐるさせていかないといけないので精神的に肉体的に疲労困憊します。顔にも出てる (←私調べ) 顔の筋肉がひきつってるというのかな、言葉も結構きつめというか鋭いしけんかっ早いから余裕がないお顔になるの。私たち美の女神としてはそれは避けたいよね。

フランスってニュースに専門家や知識人のコメンテーターが3-4人出てる場合が多くって、それぞれの主張と思想がはっきりしてる。だからよく意見を一人が言ってる所にかぶさって自分の主張をやいやいと言ってる人が結構の確率でいててカオスになってるw そういうタイプの男女それぞれ結構お口がへの字口さんとかいるからね。もちろんエレガントに反論する人たちもいるよ。まあ仕事だからしょうがないのかもだけど。お顔は名刺♡

弊害③ : 他人ばかり見張らないといけなくて自分を見てる時間がない

両極端の考え方や生き方ってちゃんと自分の意見を知って持っているからそうなるんでしょう?

そう思うかもしれないが実は他人を見張って出来上がっていることも多い。例えば上下、優劣、合ってる間違っている。これは他人を見て、これ一般的におかしいでしょとか私の意見の方が正解とか、私の方がイケてるとか比較検討しているからね。本来ならば自分さえ気分よく生きていれば他人がどうしようがどういう意見を持とうがどーでもいいこと。ずーっとお外=他人を見張ってる。

結局は自分が勝ってると思っていても実際負けてるからね。そんな勝ってると自分の中で優劣をつけないと生きて行けない程にメンタルぐらぐらで自尊心をそんな思い込みで保たないと自分の足で立ってられないくらいココロがさもしいんだから。相手は多分そんな勝ち負け気にしてないし。見つめるのは自分のこと、私の生き方や考え方はこれでいいというグラつかない自分への信頼です。

二極に振り切れそうになったらこう考えよう/イタイ子化は阻止できる

でも私たち昔からちゃんと意見を持ちなさい。ハッキリしなさい。って言われてきたからね。多分ハッキリしなさいって欧米の発想だと思うんだ、私の現地研修の結果。結構振り切ってる人多いからね。まあそれがこのキレッキレに尖った社会で生きて行く上の知恵なんでしょう。ふんわりとか穏やかだと生きてけない時もあるしね。しかし精神の強さ=二極に振り切る極端ではない。これは先程も言ったように極小ワールドの住人のすることだから。疲労困憊かわいくない子イタイ子は避けたい。そこでニュートラルに軽やかに美しく生きていくための考え方をご提案。

その① : 大きなお世話な幻想は捨てる

とりわけ正解・不正解を持ってる人にありがちな発想は相手を変えてあげたい。私が合っている、あなたは間違っている。私の意見をわかって欲しいということ。勝ち負けもそう。そして相手を変えてあげたい、こっちの方が正解とかいいとかね。それお相手にとってはめちゃ大きなお世話で大迷惑ですからね。

日本庭園が素晴らしいから格式が上だからそのフランス式庭園を日本庭園にしろってヴェルサイユ宮殿に乗り込んで行って勝手に女王みずから土いじりしてるようなもんです。いや、土いじりは庭師に任せて、しかも他国のお庭だし。私たち玉座の女王なんで仕事はでーんと座って基本指示出してるだけなんですよ ☟

他人のお庭に行かないで。それは超絶無駄であり大迷惑行為です。あなたはあなたにとって正解であり、他人にはそうではありません。

その② : 全員が自由に選択する権利がある

私たち全員が全てを自分の好みに合わせて自由に選択する権利がある。そして人それぞれのスタイルがあるし、良さがある。これをしっかりと理解すること。先ほどの他人を変えようとか、勝手に私が上だとか言ったり (男女差別や人種差別とかもそうですね)、ちょっと何言ってるかわかんない (by サンドウィッチマン)

何を選ぼうがどう存在しようがその人の勝手でありそこに正解も不正解もなく、上下もなく、優劣もない。好き勝手させてあげましょう。だって私たちだって好き勝手してるわけですから。

その③ : そんなのもあるんだなをデフォルトに

理解を越えたことをする人とかいわゆる変わった人とか奇抜な人に対してバッシングしてみたりも結局はあなたは間違ってる、私が正しいの思い込みがゆえ。そういう人に出会ったらこう考えましょう。

ア~、そんなのもあるんだな、ふーん。

あーだこーだ考えたりするのを止めるマジックワードw 全ての人が自分の好きでやってることであり、そうしたいからそうしてる。自分のサンプル辞典に載ってないから悪とか、変なの!ってマウント取ってみたりはいらないから。

以前ベルギーでお旦那の同僚のある女性 (A子としよう) が家族ぐるみで付き合っていた家族の男性 (B氏)とお付き合いを始めてね、まあいわゆる不倫ですね、しかも家族同士がしょっちゅうランチやディナーをしていて奥様同志もお友達だった。私ね最初の頃は超絶理解できなくてですね。

えっ?友人の彼氏を取っちゃうってやつだよね?ん?家族ぐるみだから子供達もそれ知っていてある日突然この人新しい彼女だからっていう意味だよね。え、A子の夫は目の前でいちゃつかれて何も思わんの?てか、A子とB氏の思春期の子供のメンタルもすごい。

そう思っていて私の正義が全面に出てその二人がいちゃいちゃしてるのを見かけるたびにイラついてたのを思い出します。そう、それはその人達の自由であり正解。まあ倫理的にはどうなのかなとは思うけれど私にとってはどーでもいいこと。その人達にしかわからない愛のカタチであり、お付き合いの仕方。そんな世界もあるんだなの領域で私はようやく着地しましたが。

全ては中立ニュートラルの視点でのバランスが冷静沈着に生きるカギ

シーソーの端っこに座るとバランスが傾くように、私たちは両極端な発想を持つとバランス感覚を失い大事な物を見逃す。こうやって情報が錯綜する中、自分の目で見て、感覚でとらえ、思考やココロを使って常に自分の正解を見つけそれを基準にどちらかに傾くのではなく違った視点や変化を柔軟に受け入れることも必要とされています。別に異なるものを受け入れるというのは好きにならなければならないというわけではなくて、そういうのもあるんだなとマルっと包括していく感じ。

本当に自分の正解に自信があり、それを基に生きているのなら誰かをつつく必要もないし、わかってもらおうともしないと思う。実は自信がないから、恐いから攻撃するのであって。その自分の正解も時が経てば変わるかもしれないし、状況によっては柔軟に変える必要があるかもしれない。振り切らず、ちゃんと自分で確認し真ん中のスタンスを保ち、俯瞰して物事を見ていく賢さを持って生きて生きましょうね。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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