みなさま、こんにちは。本日は久しぶりの神言葉シリーズ。
私の世界は甘くて優しい
をお話しようと思います。私は私が住む世界はこう設定している。常日頃からここに存在すると決めているのが『甘くて優しい世界』。ご自身がどう在りたいのか、何が好みなのかをしっかりと定めていると玉座の女王様の定位置からははずれません。はずれてもおっとっとココは居心地がしっくりこないから定位置に戻りましょうってしずしずと戻るだけ。戻るべき場所、居る場所がかちっときまっていればブレることはない。
先日テレビが点けっぱなしで。私はテレビを見ないけどお旦那がテレビっ子なのー、見てないのに点けっぱなしで、で見てないなら消しなよって言っても『見てるよ!』っていうパターン、笑。どこに目をつけてんだって思いっきり背を向けて作業してんのに。でね、たまたまちらっと画面見たんですよね。
あれ?なんかどっかで見た景色。。。んー?どこだろう?
しばらくして。。。。私の住んでいるフランスの街だったw その番組はなんか日本でもある警察24時みたいな警官の事件簿?追跡ドキュメンタリーみたいなやつ。あれのフランス版で。もう、撮影するならもっとかっこいい話題がいいのにさ。なんかお薬とか家宅捜査とか飲酒運転とか喧嘩とかの追跡をレポートしてた。
それを見ててこう思った。なんか住む世界違うな、同じ市内だけど。異次元空間を見ているかのよう。私は観光地や美しい空間も好きだけどそれと同時にあちこち街中を歩いて日常を見たい派なんですよね、日本でも海外でも。フランスやいろいろな国を見て来て思うのは居住区域も生活習慣も交友関係もライフスタイルもこう言うとちょっと語弊あるかもしれないけれど生活クラスによってくっきりはっきり分かれている。街中も筋を一本違えばがらりと雰囲気や歩いている人の種類が変わったりする。それぞれに属する人々はお互い交わらないし混ざらない。
仕事がなくても手当や補助が手厚いので生きてはいけるし、だから日本では考えられないようなふらふらしている人も少なくはない。正直な話、中途半端に働くくらいなら手当生活の方がメリットがあるかも。
以前はみんなが仲良くすべきとか分かり合うべきと思っていたけど暮らして行く中でそれはないなという結論。異なるものは別にそのままでスルーというかそういうのもあるんだなで自分の好みの立ち位置に存在すればいいって思うの。ここはしっかりと守るべきであり、自分の世界観を貫けばいい。それが私たちがこの世で体験したいことだし。居心地悪いものは悪いんですよ。フィットしないものはフィットしないの。ただそれだけ。
以前、周波数か異なるモノは交わらないという記事を書きましたが ☟
自分の世界観に合致しないモノ(物や者)は出会う事もなければお付き合いすることもないし体験することもない。だから私は愛の溢れて幸せが循環する優しい世界がいいし、イージーモードで豊かさやチャンスや楽しい体験をゲットできる私にとって甘い世界がいいと思っているので『私の世界は甘くて優しい』なのですよね。
自然とそこからはずれるモノには関心がないし、意識も向かない。例えば何かインターネットで見かけても、愚痴や炎上界隈には全く同調もしないので自然とMYフィルターが発動して自分を守ることにもなります。別に愚痴が悪いわけじゃなくって私は同じ時間を使うのであればそこからどうしたのかとか何かを得たのかなどの前へ進むお話が聞きたいの。だからただただ、なんか異次元で私には関係ないやと思う。別にこれはイヤ!とか低俗とかで押しやる意識ではなくって自然と自分が意図し、出している波動に合わないから。意図して感じて発している周波数が違うっていうだけ。
ここをしっかりと自分の軸として決めて毎日を過ごすことが大事だね。
みなさまはどんな世界がいいですか?今一度しっかりと決めてその世界に存在し続けましょうね♡
最後までお読みいただきありがとうございました