みなさま、こんにちは。本日は昔は海外旅行や国際交流が好きで念願の外資系勤務や海外就職も果たし、居住経験もイギリス→フランス→ベルギー→フランスなうの私が今思う、
海外に住むのと旅行とは全く別物である。というお話をしたいと思います。
海外に住むのと旅行とは全く別物/見えてくる世界が全く違うから
日本にいた頃、海外旅行もしていたのですがやはり居住と旅行は全く別物だなを確信している。やはり旅行や短期滞在(1年くらいまでかな)は新鮮さや感動が勝る、何をか?おやおやなんだか私が思っていたものと違うぞ?と比較して。暮らしてみるとわかるのですが、例えばフランスだと、エッフェル塔イエーイ、クロワッサンイエーイ、フランス語の発音が美しいイエーイ。では済まなくなってまいります。大聖堂の美しさに感激したあの頃が懐かしい、今や当たり前となり
これはゴシックか?ロマネスクか?ああ、またカール大帝絡みか。
なんて思いながら冷静に見てしまうんですよね。ちょいキャピの目新しいからマジで素の日常へ。そして何よりも体験することの質や量が違います。日々の生活があるから、数多くの人間との絡みがあるから、いろいろな社会問題の背景を直視しないといけないから、うまく賢く乗り切る方法を身に付けないといけないから。
これらを知らなかった頃の私はよく○○人はこう生きるみたいな本を読んでふむふむって思ってた派、恥ずかしい。今はそれはマボロシ-(IKKOさん登場)そして私がみたリアル世界は全く違う世界だった、いい意味でも悪い意味でも。私、パリ街中のスプレーの落書きを本気でアートって思ってたからねw あれは治安が悪い証拠だから。そしてこの間テレビで見たがなんなら暗号化された違法お薬の値段表らしいからねw
生活をしていると社会情勢や背景が否が応でも見えて来るし、知りたくないことも知ることになるし、日本で○○人はこうといったいい側面をプッシュしていることの背景を知ると実は強制的にこうなるしかない状況だからこうなってるんだなって違う面で見えてくることも多いのです。今の私の意見としてはどの国にもいい点悪い点があるからそうそう変わりはないということかな。例えばいくつか例を挙げてみよう。
その① : フランス人は残業をしない
これ多分同じような経済レベルのヨーロッパ他国にも言えることだと思うのですが、エリートと非エリートの区分けがはっきりと分かれているフランス。エリートとは学歴(専門職教育を受けている)や経済状況(専門教育を受けるにはお金がかかるから)によって左右され、つまり大学や専門課程などを卒業する頃にはもう既にフランス人のキャリアパスは決まってしまうということ。非キャリアが管理職になることはほぼない。20代前半で一生のキャリアは決まっちゃうんですよ、これを聞いた時めちゃ驚いたんですけど。そりゃやる気出んわなあ。。。お仕事これからガンバロー、やりがいだ!ってなるわきゃない。大幅昇給もない、一生同じ仕事が確定でどうやって仕事を工夫したり、新しい提案したり、精を出せます?そりゃ仕事中にカフェタイムが長い、おしゃべりしたくなるよねえ。。。って思う。
滞在許可証の件で県庁からの電話に出れなくて折り返し電話をしたら、電話応対した人にあーん?なんだって?って言われてギョッとしたんですけど、彼女の後ろからめちゃ大勢の笑い声で盛り上がってるのが聞こえてきて、あーお喋りTIME邪魔してゴメンなって思ったんですけど、そうなるわよねえ。。。まあお給料分はしっかりとお仕事はして欲しいんですけど私が支払うわけじゃないんで。
残業なんてしないわよね。さっさと帰りたいよね。エリートは成果を出すのがミッションでもあるので残業をする人も結構います。お家でお仕事してる人もいますしね。まあ、残業がいいとか(私も残業はしないように行程を工夫する派だしね)、仕事にやりがいを持とうとかそれは個人の好みの問題だからいいんですけど。単純にキャリアパスの違いなだけってこういう背景を知らずに残業がないはちょっと違うかな。
その② : クラスという名の見えない壁が未だ存在している
昔昔のヨーロッパは貴族と庶民というモノが存在していましたが今もその名残は感じられる。明瞭に区分けはされていないけど
- 生活区域が違う
- 交流関係も違う
- 習慣も違う
- 仕事も違う
そんな感じでくっきりきっぱり分かれています。上と下と言うと言い方悪いけど交わることはない。地区もそれぞれ分かれていてお互いが踏み入れることはない。それぞれが独立している感じ。お友達になることもない。交わらないのです。区別というかお互い眼中になしって言うのが適格かなと思う。
その③ : クラスという枠組みの定型ライフスタイルがある
例えばフランス人は高級ブランド物に興味がないという話ですが先程のクラスの存在が背景にあるのかなとも思う。もとから高級ブランドが眼中にないというか視界に入ってないんですよね。ヨーロッパで暮らしてみてわかったのは、このクラスという枠の中での自由と選択肢やライフスタイルというものが確固たるものとなっていてその枠内での生き方が当たり前でそれ以上でもそれ以下でもないで生きている人がめちゃ多いんですよね、定型文みたいに。
高級ブランドはそのクラスの定型文にはないので店自体にも冷やかしとかであってもw足を踏み入れることはない。店自体が存在していないかのように選択肢から排除されている。あれはブルジョワの物だ~的な区分けで自分たちには関係ないと思っているふしあり。
ヨーロッパって家族との時間が多くて素敵♡ってなっていますが娯楽が発達していない(首都圏は除く)から自動的にそうなっているのかもとも思う。日曜はほぼ外は閉まってるし。家族の時間が多いから娯楽が乏しいのか、それとも娯楽が乏しいから家族の時間が増えるのか、果たしてどちらかしら?娯楽も豊かで家族との時間も多いというのが理想かなあ。
生活レベルなどによって全く以て枠があってそれからはみ出さない生き方って与えられたマニュアル通りみたいで結構モチベーションや躍動もなくって退屈なんじゃないかななんて好奇心旺盛で日本を飛び出して冒険中の私は思ってしまう。でも日本から出ちゃっている人々は私と同様に枠からはみ出ちゃってますんであきらめてください (笑) 昔はまっていたUKバンドRadiohead(結構悲観的な歌が多いんですよ、私のあの頃のメンタルは大丈夫だったのかな、はて?笑)の代表曲の一つ『No surprises』の歌詞にこんなんがあるんですが
No alarms and no surprises….
Such a pretty house
And such a pretty garden何の不安も驚きもない…
あんな素敵なお家やあんなきれいなお庭や
No surprises by Radiohead
安定というのは同時にサプライズや躍動がないということです。多くのフレンチーが辿るお家やお庭でアペロ歓談+時々バカンスもいいんですけれどやっぱ枠なしの選択肢からの人生もそこに加えていいんじゃないかな、せっかく一度きりの人生だし。
大事なのはもしクラスやステイタスやお金の問題や現在の私の状況を無視して考えてみて、私はどうなりたい?どうしたい?というものは本当に何なのか?それを実は私たちは叶えられるということなんですよね。feat.潜在意識を実践している私は全ては無限の可能性がから選べるというのを最近腑に落としましたスクールで。では何で多くの人が枠の中で生きるのか?これは世間の常識や教えで今まで信じて来たものでブロックをかけてるからそんなことはあり得ないって思ってるので単にそれが現実化してるだけ。いかにこのブロックを外していくかで枠が広くなっていくという世の中の仕組みです。私もたくさんあるから今せっせと淡々と気づいて書き直しの毎日。ヨーロッパでも知られてるのかな?この潜在意識の仕組みは。わかんないな ☟
良きも悪しきも込みで俯瞰して見て生活するのが海外生活/ドリーマーではいられない
日本にいるとどうしても海外の○○なシステムはいい~みたいなところがフォーカスされたり、キラキラインスタのおっされーな世界がプッシュされがちですが、多分多くの現地日本人はそれはない。って思ってるのでありましょう(笑) 日本で生活している場合と同様、海外も良き悪しきものは存在しております。その国の背景が見えてくると見え方が違い、もうウキウキ素敵気分では暮らせません。裏が見えてきちゃうから。
ウィーンに行った時に街並みも上品だし歩いている人もシュッとしていて素敵なカフェ~なんて浮かれポンチで地下鉄に乗った時の出来事は忘れられない。ある駅に停車した時にアコーディオン奏者(移民出身者ですね)が演奏を始めたんですよ。まあよくある光景です。で、演奏を始めた途端に小さい女の子連れのオーストリア人男性がアコーディオン奏者に向っていった。彼が放った言葉『故郷へ帰れ』とともに首根っこがつかまれ、次の駅で引きずりおろされた。女の子はさぞかし恐いだろうと見たらめちゃくちゃ素。。。日常的にやってるんだな、お父さんよ。初めて見たこの追い出し行為。フランスだったら多分アウト(一応人種差別は罪に問われます、以前某高級メゾンのデザイナーがレストランかどっかで居合わせた客に人種差別発言して解雇されてましたよね。でもウィーンの周りの人も何も反応してなかったから男性と多分同感?)この光景をもしみなさまが見たらどう感じますか?この男性がひどい?そんなことするなんて?でもねこの背景をわかっていれば五分五分だなと思う。
現地の人達はまじめに働いて税金を納めている(しかももしかしたらしぶしぶお金のために働いているかもしれない)その税金が働くつもりもなく手当目当てで暮らしている人々の生活源となっていてちょこっとアコーディオンを弾いてるのを見たらイラっとするよね?移民系の全員がそういうワケではない、一生懸命働いている人もいるし馴染もうとしている人もいる、でも一部のそういう人のせいで移民全体がそういう目で見られてしまうのも酷な話。そしてお旦那が教えてくれたのですがあのオーストリア人男性の首のタトゥーは過激な極右団体のものでもちろんアンチお外から来る人。ドイツ語圏は特にこういう団体が多いそう、昔のおひげの独裁者の名残で。こういった事情が一つの出来事で走馬灯のようにリンクしてカチッと現実の背景が導き出されるとウッキウッキなザッハトルテ イエーイではいられなくなる。そういうネガな部分を見なかったことや見ないフリはできない現実に起こっているのだから。これがヨーロッパで現在起こっていること。
人種差別が多い~とか言うけれどフレンチー優しいよ。めちゃおしゃべりノンストップだけど。まぐろが泳ぐのを止めてしまうとお亡くなりになっちゃうみたいなもんなのかなw 初対面でもめちゃ話かけてくれる超陽気なラテン。ベルギーでも事故にあった時、目の前のお店の人がみんな出て来てくれて椅子出してくれて座らせてくれてお水をどうぞって言ってくれたり、薬局の人なんか筋肉緩和のホメオパシーレメディーをタダでくれた。みんな優しい。私は多分いろいろと知りたくってそしてそういう良きも悪しきも知った上で興味のあることを知り学びこのヨーロッパにいるんだと思う、ヨーロッパ好きだしね。宇宙飛行士のガガーリンが宇宙から地球を見て『やっぱり地球は青かった』と言ったらしいけど(なんか本人は言ってない説あり)私もこうやって今日本を飛び出したのは、『世界はやっぱり広かった』を自分の目で見て体験したかったんだろうなと思う。実体験がともなわないのは単なる知ったかぶりだからね。行動を司る身体を与えられてる意味がないから。
広い視野で俯瞰してどーんとマルっとこの広い世界を感じる、現実を見ていいなと思う所は吸収して、こりゃあかんなという所は自分はやらない。それがワールドワイドに生きるということなのではないかしらん。体験を大きく楽しもう世界で。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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