みなさま、こんにちは。本日は巷では完璧な人などこの世にはいないと言われていますが、本来は私たちは完璧なのだというお話をしたいと思います。
完璧な人などこの世にいないの罠/私たちは完璧な存在なはずですが?
私が潜在意識を学んでからどんどん自分らしく楽しくそして自分の人生は自分で創造するというコンセプトで生きるようになったので、このブログでは潜在意識やマインドのことを書いている記事が結構あるのですけれど、最近の傾向として、検索エンジンからピンポイントで飛んできてくださる方が増えてきているのですよね。感謝でございます。
検索エンジンで飛んでくる方々の傾向としてわざわざピンポイントで潜在意識や生き方などそのキーワードを狙ってくるということは真剣に私の人生を生きてやるぜ!まだまだ先へ行きたいんだ!的な雰囲気なんでしょうね。私はそういう方はウェルカム♡ 同じ周波数そして志を持っている感じがするから。どう生きて行くのかしっかりと宣言していかないとふらーり漂流記になっちゃうからね。
で、本日のお題なのですが、先日フランス人の知り合いと話していた時に出て来たフレーズ
Personne n’est parfait. (完璧な人など一人もいない)
この諺のフランス語バージョンを知らなかったけれど、英語をそのまま変換したものだから聞いていて意味はわかった。話の内容は、うまくできなくって失敗しちゃったけれどというストーリーの締め括りとして出て来たんですけど、その時の彼女の行間に滲み出ていたは、
- 自分への失望
- 罪悪感
- 後悔
- 悲しみ
- 不甲斐なさ
そんな感じでしょぼーんってしてたんですよね。私はこの言葉がめちゃくちゃ気になってて。
そもそも私たちって完璧な存在なんだけどなあ。。。どこでそうなっちゃったんだろう?
私たちがよく言われてきたことだと思う。完璧な人などいないのだから。助け合いなさい。おごらずに謙虚に生きなさい。足りないところがあるのだから。他人の多少の悪い所は見逃してあげなさい。ってね。そりゃそうなんですけれど、この『完璧な人など一人もいない』ってある意味、制限をなくして自分らしく自由に生きることの足かせになりうるなあと思った。
でも実は私たちは全員が完璧なる存在なのですよ。それが元来のデフォルト設定。
これが事実なのです。以前、私たちは元来は魂の存在であって、肉体というボディースーツを持ってこの世に生まれてきて、輪廻転生を繰り返しているって話をしたのですが ☟
この魂はもともとは完全なる存在。愛や調和を基準として全てを持っている存在。いうなれば完全なる球体の状態。欠けもなく、ぜい肉のように膨れてもいない。
諸説ありますが、私が一番しっくり来ている説は、生きて行くうちにいろいろとこの世の出来事に揉まれて、いらない知識や常識を蓄えて、欠けやぜい肉を蓄えてバランスを崩していっているのが私たち人間なのだということ。赤ちゃんや小さい子を見ればわかるでしょう?
あっ、僕って可愛さ不足だ、媚びないと人気ナンバー1にはなれない。アイツをうまく陥れてやれば行ける。
とか、そんな知恵はないはず(笑)知らず知らず知恵や経験と言う名のサバイバルゲームを生きるためのいらないものを身に付けていたりします。自己価値を上げるために媚びてみたり、好きでもない事を我慢してしたり、武装しなきゃ価値がないって信じてるから資格王になれそうなくらいたくさん資格を取ってみたりね。いろいろと取り越し苦労も多いのですよね。
私たちは完璧なる存在がデフォルト設定だと望みは最速最短ルートで叶う
私たちが完璧であるというのがデフォルトであると実は潜在意識もその通り信じてサポートをするので楽に、最速最短ルートで望みが叶うのですよ、実は。潜在意識やスピ系や量子力学なんでもいいのですけれど、自己啓発系にはこういうルールというか法則があります。
意識を向けたところが拡大する
ちょっとお堅い言い方でわかりづらいなら、しょっちゅう考えていることや頑なに根底から信じていることにエネルギーを注ぐことになるのでその雰囲気のシナリオ展開になりますよということです。かなりざっくり言ったけどw
この法則は基本中の基本なのでしっかりと覚えておきましょう、大事なので。ということは、自分が完璧じゃない、価値がないと思っているとそこに力を注いでいることになります。逆に自分は完璧と思っているとしっかりと充足した結果になる、だって過不足ないはずなのだから、欲しい物が手に入らないって一致してないから。だから欠けを補い、ぜい肉はそぎ落としていく作業が必要になります。
欠けとぜい肉の概要はこんな感じかな。
□欠け
誰か他人を羨んだり、攻撃したり、比較して上下を争ったりするのは根底は『自分には価値がない』から来ていることが多い。お金がないとか、愛されていないとかの不足感も大活躍ですよねw
世間一般のイケてるマーケティングに煽られて、
あらやだ、私ってばタワマン上層階に住んでいないわ。。。。
無価値感を植え付けられていることも多い。別にタワマンが悪いのではないけれど、それをすることでステータスを感じる、羨ましがられるといった欠けている私の何かを満たす物欲の場合もあるから、そこは見極めた方がよさそう。
□ぜい肉
以前も記事に書いたのですが ☟
私たちが信じている世間一般論などは実はエセというか思い込みマーケティングによるものだってことがよくある。それを後生大事に持っているとその小さな枠の中でやりくりして生きるしかなくなるのですよね。しかも合っているのか、合っていないのかは正直不明という恐ろしさ w
さあ、これらはホントなのか?いろいろと裏があることもあるこの世の中ですし (笑) 何を信じているのか、何を自分の常識とするのかで未来は変わるんです。だって一人ひとつ潜在意識を持っているのだから。魂のデフォルトは完璧なる存在の設定をすっかり忘れてしまっていないか?というお話です。自分がいらないなというものは潔く採用しない勇気も必要。あと、○○するには○○しなければという条件付きの一般論も疑った方がよさそう。
完璧なる存在の立ち位置に戻るために/余計な物はそぎ落としまくれ
みなさま日々忙しいために実は自分は欠けているとかぜい肉をつけているってわかっていないことも多いのですよね。一番わかりやすい方法をお知らせします。
意識のベクトルが自分に向いているのか、それとも他人や周りの環境に向いているのか?
これで明らかにわかります。例えば下記に当てはまる方は完璧なる存在の立ち位置からズレていってますので要注意。
ざっと一例ですけれど。これらの行為はさきほど挙げた欠けかぜい肉が根本にある行動です。
じゃあ、完璧なる存在の立ち位置に戻るにはどうしたらいいのかというお話ですが、これはもう自分と向き合うしかないのです、自分が欠乏感を持っているんだな、変な常識を信じているんだなと気づいて、受け入れる。必要ならば思考グセや行動を変える。一番手っ取り早いのは腹の中にある自分のどす黒い気持ちや信念を洗いざらいノートに書き出すこと。以前、ノートの詳しい書き方は記事にしたことがあるのでこちらの記事をどうぞ ☟
大事なことは本音で自分と向き合って、否定するのはダメです。淡々とあ~私こんなこと思ってるんだな、自分は価値がないって思ってるんだなってしっかりと見て、腹の中から最後まで出し切ることです。これをしてると最終的に飽きてきて勝手に消化していきます、ほら人間って飽きやすいからね。でも、本当はハラワタ煮えくり返るほど嫌な人がいるのにさらっといい子ぶってソフト路線にしないこと。
例えばですけれど、昔同僚におしゃれでかわいくてお家も裕福でお嬢さんっぽい子がいたんですけれど、その子が彼女の上司にめちゃくちゃキレて私の所へやって来て文句をまくしたててたんです。そしてドスの利いた声で
ドタマかち割るどって思ったわ。
この言葉聞いた時に目を剝く程すんごい驚きとともに爆笑した。あ~、この子も普通の子なんだなあ。。そして怒り心頭なんだなって (笑) ちなみに大阪弁でかなりお行儀がよくない治安のよくない地域の表現で『頭を割ってやりたいほどムカついた』って意味です。私も初めて生で聞いたわ。でも、言った張本人はこの発言で吹っ切れたのか、何もなかったかのようにその後仕事してました。こんな感じで腹の中はしっかりとそのままの言葉で書きましょう、誰も見ていません。ちゃんとお陀仏させてあげてね。
するとどんどん本当の私が出てきて好きになるし、こんな私もいいじゃん♪私はこれで完璧モードに戻っていきますから。完璧モードとは別に何でもできるスーパーウーマンを意味するのではなく、どんな私にもオッケー出せるかです。自分をちゃんと見てあげて、愛を注いでいてどんな私でもいいって思えること。心地いい本当の自分に戻っていこう♡
最後までお読みいただきありがとうございます。
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