旅行や新体験が人生を変える/いいねや映えよりも大事なこと

世界中を庭のように優雅に遊ぶ方法 海外暮らし日々徒然

みなさま、こんにちは。

私のこのブログ『世界中を庭のように優雅に遊ぶ方法』のコンセプトは日本国内での国際的な環境で働いたり、交流したり、そして日本を出て、もう国境なんて関係ないんじゃ?的な感覚で自由に世界を優雅に楽しむということです。

私の基本姿勢は、

この広い世界をよく遊び、よく学べ

ということで常日頃から新しい事にチャレンジしたり、その国でしかできないことや見る事ができないことを実体験して肌で感じ、そこから得た体感や経験そして受けたインスピレーションをよりよい人生そしてより豊かな毎日に反映させていくことを意識しています。だから、ウロウロとあちこち国を越えておりますが『ここ行きました』『これ食べました』という日記的な内容は少ないというか書いてないんじゃないかな? (そろそろ記事数が多くなってきて記憶が曖昧です♪) 私のブログでは書くとしたらそこで何を感じて、何を得たのか?というちょっと違うアングルから一歩踏み込んだ内容を意図をしています。

だから写真で、

あ~、この人相変わらずウロウロしてるなあ。落ち着きないわ。。。

なんてこの写真がどこかを推測しながら温かい目で見てね♡ 

日本のお友達から聞いたのですが、レストランで見た目がかわいい・美しいインスタ映えをするデザート等をたくさん頼んで写真を撮ったら終わり的に全部いただかない女子がいる、観光地で美しいけれどその場所の自然を踏んで壊してまで写真を撮ろうとする人々がいると聞きました。

本当の豊かな経験っていいねや映えのためにディスカバリーをしたり、美しいものを見るんじゃないのですよね。写真上では美しいからいいんでしょうけれど、おそらくその体験によって何を感じて、誰とどんな気分で過ごしたのか、どんな時間を過せたのかは覚えてないと思います。いや95%覚えてないだろうね、配置やカメラのアングルに夢中になってるから。写真も結構ですけれど、他人の賞賛も大事かもしれないけれど要は自分の思い出となっているか、しかも思い出した時にあれこれと記憶や感情が蘇る喜び。これがホントにその体験や時間を味わっていて、豊かな経験として個性やこれからの人生へのインスピレーションとなる。いいねや映えって自分の肥やしにはならないんですよね。楽しかったです、おいしかったです、かわいかったです、以上。の表現しか出ない。その先へは繋がらない。大事なことはその瞬間を味わい楽しんでいるかで、それが脳やココロにデータや感情として記憶され自分が何が好きなのか、あんな感じの生き方がいいな♡などの選択肢としてデータソースとなると思います。

例えば私の記憶に残っていて影響を与えたことを例に挙げると、

  • 国際空港の近くに住んでいたので両親がよく空港見学に連れて行ってくれた➡飛行機移動は身近
  • 旅行先アメリカ・サンディエゴで夕涼み中に日本人男性と会って話していたら、彼のライフスタイルは夏はサンディエゴ、冬は日本だった➡自由なライフスタイルは存在している
  • 観光先ではあれば高台から街を見下ろす➡旅行先での楽しみはこれ

これらの経験をしっかりとその場で味わっていたから、いつまでも覚えているし、自分のライフスタイルに大きな影響を与える肥やしとなっているのです。

人間って本当に忘れちゃう生き物なのですよ。例えば私は正直転職し過ぎてキャラ濃いめの同僚は覚えてるけどそれ以外はめちゃ曖昧な記憶だわ。ぼんやりしたお味のレストランとかイマイチだった観光地とか覚えてないもん。だからしっかりと自分の記憶に刻まないと有効な体験とは言えないのですよね。その瞬間、そのフィーリングをしっかりと味わおう。これが最高に豊かかつ今後の自分に活かせる体験と思います。

体験するすべてのことを英知に変えていけ♡どこまでも貪欲に (笑) 人生は長いけれど短くもあり、この肉体では一本勝負です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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