語学習得は海外遊びの基本/サバイバル精神とかマジなしで
みなさま、こんにちは。本日はこのブログのタイトル『世界中を庭のように優雅に遊ぶ方法』に回帰して日本国内じゃなく海外を見て周りたい、体験したいを人生に組み込みたい方向けにお伝えするお話。

これはイギリス・ベルギー・フランス滞在そして海外も好きなところをウロウロし、いろんな国や人種が混ざる現地の学校や外資系企業での実体験で出た結論。
私の『世界中を庭のように優雅に遊ぶ』という定義は日本であろうが海外であろうが世界中いつでもどこでも余裕のココロ持ちでどんな状況も事態も賢くしなやかに対処して、優美に楽しんで遊び感覚で存在するということです。
相手が誰であろうが言いたい事は言えばいいし、生きたい所は行けばいいし、したいことはすればいい。日本では大抵は問題ないけれど、やはり外国となると勝手が違うし、慣れ親しんだ習慣や出来事も大きく変わるのは事実。言語も違うし、国民性やキャラも違うしね。その違いに柔軟性を持って、賢く判断して自立して行動できるのがゲーム感覚の世界遊びであり、庭のように余裕で遊ぶということ。だからサバイバルでとかは好きじゃないです。
このブログでは言語習得や日本をルーツとする私たちの強みなどのお話を定期的にしておりますが ☟
ちゃんと自分のことを自分の気持ちを言葉で表せないのって全てにおいて損失でしかないのですよね。そのためのサポートツールである言語。だからサバイバルレベルよりもある程度きっちりと伝えられるレベルを推奨しております。
サバイバルレベルじゃなくコミュレベルの言語が必要な2つの理由

どの言語でもいいんですけれど世界的に見て英語がやはり強い。でも特定の国がお好きだとか住んでいるというのならその国の言語で。
ではなぜ余裕で海外を遊ぶために言語をきっちりとコミュニケーションレベルまで身に着けた方がいいのかをいくつかお伝えしますね。
その① : 世界レベルでの一期一会
みんなお喋り好きなんですよ。とりわけ現在居住国のフレンチーが代表格ですが、他国もそんな感じ。アジア勢は控えめだけれど今年の日本帰国時は中国人一人旅さん族2名から話しかけられたな。
さっと会話ができるって楽しいから。旅の思い出や経験にもなるしね。助け合いや協力するのも言葉ができるから。みんなお話好きで優しい人が多い。世界レベルの一期一会を感じることできるよ。
その② : あなたは日本のアンバサダー
海外にいると私たちはやはり外見上カテゴリーはアジア人なのですよね。だから周りは『アジア人』として最初は接します。最近は円安もあってか日本にアクセスしやすくなったので『日本人』として認識されることも少なくはないですが。まだまだ日本から離れた国々の人々は日本について知らないです。
興味ないのもあるけどそんなに海外を知りたい熱はなくどんな文化も取り入れちゃう日本とは違う。一般的なヨーロッパの人々は国内もしくは近隣国しか知らない感じかな。結構コンサバだし、同じ事や同じ文化ばかりでも気にならないんでしょうね。興味なさすぎなのかアジア人は全員犬食べるとかアジア人は全員中国人とか思い込んでるアホもいるようですしね (あ、ごめん本音出ちゃったw)。
日本人や日本に興味がある人にとって私たちは日本人代表。自動的に日本人もしくは日本の印象=あなた。になります。あなたの態度や言うことなすことが日本人のイメ―ジ。つまりはアンバサダーに勝手に任命されちゃってる。
私は国民性はあるとは思うけれど人やその人が歩んで学んできた事が人格を作ると思っているので○○人はこう!という本とかによくあるカテゴライズはしないようにしているけれど、やはり多くの人は○○人はこうだよねって考えがちですからね。
あなたが言葉ができずに不快感を与えるとか無視しちゃうとか。明らかに間違っている日本の印象や情報を訂正するだけの語学力がないとか。そうなっちゃうとアンバサダーの大失態です。
しっかりとお伝えできる語学力とコミュ力は身に着けたいところ。それが余裕ある大人の異文化コミュニケーションだと思う。
ちなみに私のスタンスは別にみんなに日本を知って欲しいと言う気は薄く、知りたい人・聞きたい人がアプローチしてきたら対応するという形です。興味ないものをグイグイされても迷惑なだけだし、私も別に興味ない国たくさんあるから。
言語はあなたを表現するもの/世界が広がると遊び感覚になるし

AI翻訳アプリがあるから大丈夫とお思いでしょうが、現時点ではまだ人間間の通常会話が主流。将来的にメタゴーグルをかぶって生活する選択もアリですが、日常会話でそれってなんか想像する面白いですよね。ビジネスや会議ならありかもだけれど。
ちょっとした会話を翻訳アプリを介してしかできないのはやはり味気ないというか、なんかもう人間も個性も脳みそもリアル空間もいらないのでは?なんて思ってしまうよ笑。やはり私たちは肉体を授かってこの世に生まれてきているので使ってなんぼと私は思います。
以前仏検の案内にこういう文言があったのを覚えている (今もあるのかしら?)
Le français m’ouvre le monde. (フランス語が私の世界を切り開いてくれる)
語学を学ぶということはその国の背景や文化も込みで学ぶこと。じゃなきゃ知識や表現が広がらない。語学力も実はある程度いけば止まります。だから語学習得で勝手に世界は広がる。そして言語はツールでしかないけれどツールがないと日本を出ると自分の考えを伝えたりしたいことが自由にできないんですよね。
やはり自由に余裕でほくそ笑みながらw海外を闊歩したくありませんか?私はそう思って正しい言語ではなく伝わる言語を武器に海外暮らしで楽しく現地研修をしております。文法がどうのとか間違ったらダメとかカチコチになるよりも怖がらずもじもじせずコミュ力重視で自由に自分を表現する語学をおすすめします。
活用とか間違ったらテヘって直せばいいんですよ、それだけ。意外にみんな細かいことは気にしてない。気にしてるのは上げ足取りが好きな病んだ人か語学関連の仕事の人だけじゃない?

えっ、ちょっとどういうことなのよ。それってこういうことなの、へえーーー。
なんて言った内容に夢中で文法どころじゃないっぽいし笑。気にせずココロのこもった自分なりの意見を言語に乗せていきましょ。
最後までお読みいただきありがとうございました。


