この世界は下々の私たちが支えるピラミッド構造
みなさま、こんにちは。本日は実は隠れ上級者続出の人気コーナーwちょっと上級者向けの記事です。
支配からの卒業 (by 尾崎豊)
この上級者向け記事は読んでも全くなんのこっちゃって思われる方がいると思うので一応こんな方だと時間と労力の無駄にはならないと思うのでチェックリストをあらかじめ提示しております。
めちゃ昔の話してもいいですか?今年のヴァチカンでのイースター行事をテレビで見ていて思ったんですが、そう4月の話を9月にする私w 書こうと思っていてそのまま日本にいたら時間がなくって、今更感でごめりんこ♡ でも今がベストタイミングと思っております。なぜなら、敏感な方は気づいている。世界中あちこちが不具合が出てきている事を。
前法皇がセレモニー終了後に広場に集まる信者の中を白いベンツで手を振りながら巡回している光景を見られた方もいるのでは?それを見て私はこの世界の在り方の縮図を見ているようだなって思った。そうピラミッド構造。
カトリックには位階制度があり、法皇を筆頭に枢機卿、大司教、司教 (以下省略ちょっと面倒くさくなったw)そして世界中に信者がいますね。多くの信者がトップを拝む形。ジーザスの頃はこうじゃなかった。信仰がビジネスに変身ね。本来神でもないヴァチカンのトップを拝むとか、人類みな平等と言っているのに位階制度があるということが不思議と普通の人ならば気づく。
実はこの世界の全てがこの構造で成り立っていて、一部上層部を下々の民=一般人のワタクシ達が上と信じ支えることで成立しております。うっまい具合に作られている資本主義や情報操作や社会システムそして時折不可解に起こるイベント事で維持されている。一部例をざっくりと挙げてみよう。
対立を煽る

- 右派と左派
- 貧富
- 階級制度 (ヨーロッパはめちゃ顕著w)
- 賛成派と反対派
これらは意図的に対立するように存在していたりする。下々が勝手にお互いを敵視したり、対立してくれているとピラミッド頂点には実は楽ゲーになるのですよねw
怒りの矛先が向かないとか、粛々とビジネスを進められるとか、混沌としていると管理へ持って行きやすくなるとか。
ここで質問です。ちょっと考えてみてね ☟
人道支援とか言う答えをもしお持ちならば一度見直してみましょう。
支配からの卒業/ホントの自由と自立

しっかりちゃっかりと知らぬ間にあの手この手で操られているのを知らずに私たちは支配されているのですね。自らが意思を持って生きているとか選択をしていると思っていても実は『選ばさせられている』『自動操縦に進んでいる』という事も多いのです。これに気づいてその流れから脱却してしっかりと自分で情報や目の前の現実を精査し、自分の意思で選択して自分の最善最高の生き方を生きていくことがホントの自由と自立だと私は思っております。
煽られない、その手にまんまと乗らない。このスタンスで個々が生きればあの手この手もカラクリや手口が見えてきて通用しなくなります。だからまんまと対立構造に乗って信仰や支持する何かで異なる意見の人を敵対視したり、ファイティングポーズを取らない。日常レベルでも同様に。
どんな生き方もそれぞれの好みでしたいようにすればいい。余計なところで争わない、ピラミッドさんの思うつぼですからね。
今フランス政府も一生懸命踏んばってますがもう打てる手も動かせるコマもないのでしょうね。なんかデジャヴな人員がぐーるぐると回ってるだけで草。以前も言いましたが国の機関はピラミッドで言う中間管理職でトップダウンで動いているだけです ☟
だから似たりよったりのコマが動いているだけ、エリートと言われる人たちもお金や地位と引き換えに動かされているだけのコマの一つです。このシステムも時代についていけなくなるのかどういう流れになっていくのか見守りましょう。
支配からの卒業と今回言ったのは別に悪を裁こうとか怒りを持とうと言っているのではなく、デモに参加しようとか、ぼんやりと生きようと言っているのではなく
私の人生は私が舵を取る。うまく航海をしていく。大好きな人たちと協力して。
という意図を持ち自発的に能動的に生きることが支配下から抜けていければいいなと思うので。私は以前は世界平和とか力んでいたのですが、今はただみんなそれぞれが好きな事をして楽しく楽チンに生きる事ができる優しい世界であればいいなと願っております。
異なる意見を持つ人や異なるモノもまるっと受け入れて(必要ならばスルーしても構わないと私は思うよ) 対立しない、自分の豊かに幸せのために出来る事をしていく。私たちそれぞれが賢く生きていけば自然とこの世界は穏やかになる、対立してるから争いが起こるのだし。
気づいてみんなで出ていこうこの支配からの卒業♪
最後までお読みいただきありがとうございました。