私、素晴らしいですけど何か?これ最強/神言葉シリーズ

世界中を庭のように優雅に遊ぶ方法 世界幸せマインド

私、素晴らしいですけど何か?が本来のあるべき姿

みなさま、こんにちは。本日は私が自分が好きである事さえ知っていればよろしいのですよ。という全部自己完結の最強コスパ&タイパな生き方についてお話ししたいと思います。神言葉シリーズに登録しようっと。

以前、承認欲求が強いと自分らしくそして自由に生きられないというお話をしましたが ☟

私たちは意識が外向き、基準も外基準、世間一般では誰かの役に立ちなさい、周りに合わせなさい、誰かのために、時には自分を差し置いて我慢してでもみたいな謎のルールがありますね。誰かに認められたい、褒められたい、受け入れてもらいたい=承認欲求が強いとどんどん自分を見失うので無駄に疲れて振り回されて精神も運気も乱れます。誰かの役に立つ行動はひねり出して無理してするものではなくて自分に余裕が出てきたら自然とできるものです。

もともとの私たちは自分ありきでそれが外側へ投影されて全てが潤滑に行く仕組み。自分の内側で感じていること信じていることが先でその後に時差=タイムラグを経て外側 (人からの反応や評価・状況・出会う出来事 etc)へ現れる。そんなことをすっかり忘れちゃって他人などの外的要因に反応して一喜一憂するドMゲームを繰り返しております。しっかりとここに気づきましょう、自分自身を見つめてね。

本来のあるべき姿は、私、素晴らしいですけれど何か?という疑いなき通常運転の在り方

これは自意識過剰ではなく本来みんなが備えているもの。そんなのすっかり忘れちゃってる方にちょっと見直し視点をお話ししようかな。

その① : 他人の評価や意見ほど当てにならないものはない

他人の反応や評価や世間一般を基準とするとあっち行き~、こっち行き~の自分の好き嫌いやどう存在していたいのかを見失います。ハッキリ言います、他人の評価ほどあてにならないものはないw 完全に主観的なご意見だからね。

今回のパリオリンピックがいい例じゃない?私はその様子はXでの引用しか見てないですけど、切り取ったお首を持ってみたり、多様な人々の宴や青いぶよぶよ星人がセクシーショットという独創的な開会式が何やら世間を賑わしてたけど、当のフレンチーたちは、

フランスらしい、パリらしい。ビバ表現の自由と革新的な発想

みたいになってますが、お首の件ちょっと見かけたコメント欄が確かにな~って納得した私。

冷静になって考えてみるとオーストリアには超失礼な話。

ほんそれw なんで嫁いできたマリーちゃんじゃなく本国のルイ君にしなかったの。現に該当宗教関係者や他国そして当のハプスブルク家やブルボン家の末裔そして当時お首をはねるのに賛同したオルレアン家の末裔から静かなる抗議が出てましたが、さすが貴族でディスってても感情は見せないめちゃ丁寧で遠まわしなので余計ゾクゾク感倍増、笑。激オコでございます。

そしてちょっと考えればわかる話なんですがあれはフランスとかパリの個性の話じゃなく今世界でイチ押し案件『環境問題』『多様化』が盛り込まれた結果であって全ては政治的やビジネス的な意図なだけで、オリンピックは全てビジネス計画を見据えて実行されてますからね。なんで前回の東京はパンデミックなのに強行突破的に無観客で行われたのでしょうね?そんな別の視点で見るとなんでああなってんだろうっていう点と線が繋がるかも。

ちなみに私は趣味のいい物ではないなという意見。あんまりフレンチーの笑いのセンスとかイミフでわからないからね。風刺という自分たちと意見や在り方が異なるモノをバカにして笑うという文化がフランスにはありますが私からすると

自己評価低っ。他人をディスらないとバカにしないと自分のプライド保てないんだ。自分が素晴らしいって認められないんだ。苦しい生き方

なんて思っちゃうの。他人をだしにするということは確実に嫌悪憎悪を促し対立構造を生み出し、物事を優劣 (自分たちが正しいという押し付け) でとらえる趣味の悪いものと思ってる。あまり美しい行為ではない。でもフレンチーにとってはあれはいい感じの自分たちらしさ♪もちろん全員じゃないでしょうけれど。でも関係者や一部の人にとっては不快だから。万が一フレンチーも例え他国から同じようにされても怒ってはいけないよね、表現の自由とスルーして欲しいところ。しかし昔某都知事がフランス語の数の数え方がおかしい、数の勘定ができないから国際語として失格っていって、在日フレンチーが侮辱だって訴訟おこしてたけどw つまりは視点や感覚や立場や環境によって人の意見は変わる。他人や世間はみんなそれぞれが見たいモノしか見れないし、見たいようにしか見れないの、だからそれに寄せていくのは無意味。振り回されて生きる必要性皆無。

その② : 歩んで来た道を知ってるのは自分のみ

今迄いろいろと乗り越えて来た方もいらっしゃるでしょうし、試行錯誤して挫折してもちゃんと生きてる方もいらっしゃるでしょう。多分今までなんもなかったって方は稀じゃないかしら。今まで歩んで来た道を事細かに知っているそしてその各所各所で感じて来た感情はその本人しかわからない。他人に話してもわかってもらおうとしてもその熱量は実際に体験した人にしかわらかないのです。ちょっと地味な出来事や逆にみんながあまり体験したことがない分野の話でいかに大変だったかとかいかにうれしかったかは特にね。

体験とはその出来事ではなくてそこで感じた感情が全て。

あなたのヒストリーを事細かに感情入りで行程つきでわかっているのはあなただけ。いかに頑張り屋さんで真摯に取り組み忍耐強く素晴らしいかを知っているのはあなただけなのです。

全身で感じた感情つきじゃないと記憶や英知として根付かないんですよ。例を挙げるとワールドカップサッカーやベースボールなどのスポーツ観戦がいい例。みんなスゴイ、感動した、勇気もらった、モチベ上がったって言って数日は盛り上がるけれどそれを実体験で活かせているかと言えばそうじゃない。数日後は普通の生活に戻ってる。それは他人がしていることに連動して感動しているだけなので実際は身体も動いてないし、震えるほどの体感はないから。所詮他人が成し遂げたモノ。その人自身の体験で得たものが自己信頼や活力や知恵となるのですね。

だから淡々とそしてしっかりと私は私の人生の舵取りしてる♡っていう自立心と肯定感をもつべし。

内面からの芯・軸の強さがオーラとなる/揺るがず輝きまくれ

世界中を庭のように優雅に遊ぶ方法

上記の2点を軸に考えるととにかく私がアタシの素晴らしさを知っていればよい、いやそれしかないし、コレ最強って結論。他人の反応ありきだと軸がぶれて顔色を気にして生きなきゃいけないし、それこそその他人の考え方も『多様性』だから、あら?この世のビジネスの流れに沿ってるじゃない、最先端の考え方w 超どーでもいいです、外野の声なんて。

私はいろいろな国を経て現在フランスなうなんですがこの結論マジで最強でますます自分が大好きになるし自分の人生により集中してく♪が強化されたと思う。とてもいい例が海外にいるとどうしても避けられないのが『差別』なんですが、これマジで最近出会わなくなった、というか気にしなくなった。親切な人が多いんですけれどたまにおや?ってことがあって昔は気にしてたんですよね。好奇心なのか何なのかジロジロみられることもあるし居心地が悪かった時期もございます。でも、私は私が素晴らしいのを知ってるんで別に親しくもない人とか万人ウケいらないんで、他人の反応とか言ってしまえば他人の好みなんてどうでもいい。しかも私の魅力がわからん人とか私にとっては通りすがりの雑魚キャラ、笑。私が輝くのに貢献してくれる気も全くしないしね。おタクに受け入れてもらわなくっても痛くも痒くもないし。他人に自分の評価を委ねてないんで自己完結の自家発電で楽しいです。

全身全霊で自分を信じ、本来の自分のポテンシャルを活かすことに専念する。内側から発する本気のブレない軸や芯の強さは言動に現れてオーラを放つ。これホントの話です。だって冒頭で申し上げた通り自分の内側で感じていることが外側へ反映される=他人からの評価になるのだから。他人の顔色を伺うこともなく他人の言動に一喜一憂するでもなく、私は私に満足している。これだけでいいと思うって不思議大国フランスにて思う私でありました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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