みなさま、こんにちは。本日は定義シリーズです。
自立の定義とは100%自己責任というスタンスで生きること
でございます。
みんなそれぞれのルールや信念や思い込みがあり、それが○○とは?という反射的な定義となって人生ゲームは進んでおります。だから定義付けはとても大事というお話でしたね。自分の人生ゲームの設定は自分でちゃんとしましょうということです。
本日は『自立』について。前回の『自由』の定義でもお話しましたが、自由と自立は切っても切れない関係です。どちらかがかけると自分らしく生きるは成立しない。
自立というと大体
- 経済的自立
- 精神的自立
のツートップが出てきますがそれはそうなんですが私はもうちょっと大きい枠で捉えております。自分の人生の全てに対して全責任を請け負うということなので、仕事はしないととか、誰かに頼らず全部ひとりでするとか、手段を決めると違う方向に突っ走るかもと思ってる。
超ざっくり枠で申し上げますと誰かや何かのせいではない全権は自分にあるを体現して生きること。
誰かに頼ったりアドバイスを求めてもいいけれど最終的に採用するかどうかは自分で決める。受け取ったのなら何が起きても自分の面倒は自分で見るってこと。あの人がーとか私はこうだと思ったんだけどなと後出しジャンケンはしないことw
ココロの隙間や不安定を何かや他者がいなきゃ解決できないにならないこと。お買い物中毒などの何かの中毒や恋愛至上主義とかは一種の依存ですからね。
昔『人』と言う漢字は支え合っているから人は一人で生きていけないんだよみたいな話を聞きましたが(金八先生だっけ?)、私はちょっと違う意見があって。人は一人では生きていけないけれど森林の木々のようにしっかりと一本一本根をはって真っすぐ立っているから美しい森林が保てるわけで寄りかかっていたら周りを巻き込んで倒れてしまうのと同じかなと思います。個々がしっかりと自立してるから集団の調和が保たれ、関係も健全なモノになる。依存や過度な他者への期待は自立とは言えない。

社会に対しても同じ。手当や補助ももらえるなら受け取ればいいけれどそれがないとーとか国に対して文句を言うとなると自立ではなくなる。自分の人生の幸せ度や満足度が外側の社会によって変わるということですから。だから私は政府や政治家の方には期待はしないし選挙など参加できることはしますけどそれくらいかな。遠くのよく知らないマニュやゲルよりも頼りになるのは私自身と思ってマス。あ、ゲルお辞めになるみたいね、お疲れ様でした。
みなさまの自立の定義はどのようなものかしら?一度考えてみてくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。