私たちは自分に力を取り戻した女王様です
みなさま、こんにちは。本日は私たちが主導権を持ち自分の現実は自分で創造して本当に自立して生きるという意味では実は超変だよっていうことを指摘したいと思います。題してこの世にはびこるロマンティックでドラマティックな幻想をぶち壊し自分に力を取り戻すw
昔は世間やドラマや映画や歌の影響で私もいろいろと勘違いしていたことがあり、次第にぞっとしたことも多々ある。とりわけ恋愛関係を含む人間関係ね。
これってさ。。。不気味な考え方でイリュージョンマジックにかかってたのでは?
私たちは私たちの日頃から感じていることや信念に沿って外側の現実=日頃体験することを創造している。つまり現実創造のベクトルは内側 (自分)➡外側 (現実)なので生きて行く上での視点も常に内側➡外側。今体験している現実が気に入らないなら対処するのではなく根本的に変えたいのなら自分の内側の感じていることや信じていることを変えるしかないのです。
このやり方、視点を取り戻すとある日突然やって来る?????これって変じゃないの嵐。今までの自分が信じて来たことが崩れ去り全権自分に戻ってきてようやく私の現実の創造者の立ち位置に戻ります。私が最近言っている『玉座の女王様』の立ち位置です ☟
以前はお姫様 (プリンセス)とお話していましたが最近昇格しました。このプリンセスシリーズのお話いくつかあって未だにみんなアクセスしてくれてますthanks♡ いよいよ多くの女子たちが気づき出したのでしょう、私ってプリンセスでよくない?ってね。いい事だ♪ プリンセスの記事はこちら ☟
なぜ女王様に昇格させようと思ったのか?私たちは実はみんなそれぞれが一国の主=女帝 (男性ならば皇帝ね)。あなたの現実はあなたが全権を持ち守り創っているし、私の現実は私が創造しております。だから登場人物の他人も私の意識でキャスティングして行動もそうさせているのです。全部は自分の意識をどこに持って行くかの采配次第。幸せや豊かさなのか、それともストレスやフラストレーションなのか。これによってあなたの帝国は創造される。だからしっかりと女王様にふさわしく生きるのです。
- あの人が~
- 上司が~
- この職場が~
- 国が~
- この境遇が~
- この環境が~
- この人生が~
- この容姿が~ (この贅肉が?笑)
これらは通用いたしません。全部自分発信です。今までしんどかったとか恵まれなかったとしたとしても、今すぐここで方向転換をし内側を変えればここから変えられる。今起こっている目の前の現実は過去の自分が大好きだった信念や感じていること (感情が色濃くでます)がこの3次元世界の特有の時間差を経て繰り広げられているので少々トリッキーですが、このまま嫌だ嫌だと女王様が玉座から離れて目の前の現実に同調し飲み込まれていると一気に敵に攻め込まれて、この嫌な現実は続きます。そうまたこの嫌な現実を体験したいわと選択していることになりますからね。断ち切るのなら今しかない。
この現実はイヤだからじゃあ私はどうしたい?どうなりたい?どう在りたい?ここをしっかりと決めてね。そしてそちらへ気分を向けましょう。一緒になって騎士団と敵と剣を交えてる場合ではないです、女王様は玉座で高みの見物で次なる戦略=私はどうしたいのか?を冷静に見極めましょう。女王様は司令塔です、これを忘れずに。
で、この視座に戻ると今まで信じ込んで来たロマンティックやドラマティックな遊び方ができなくなります。それでもいいですか?w でもその代わりに自分で自分の人生の手綱を握るので自己完結で楽チンに生きることができますが。好みの問題ですが、私は足かせとなっていた他力本願なロマンティックやドラマティック信仰をヤバって捨てました。いくつか例を挙げてみよう。
女王様の位置を逆走するロマンティックでドラマティックな幻想3つ
その① : 幸せにしてもらう
幸せにしてもらうというのは誰かや何かによってという意味ですよね。全くもって自分に力も意思もないという人生丸投げ&放棄状態ということ。これってめちゃおかしい、実におかしい。
誰かは多分パートナー、何かはいろいろあるけれど国や棚ぼたラッキー的なものとかかなあ。誰かや何かによって自分の人生の幸福度が決まるって発想が既に内側から外側へ反映を逆走してますからね。
他力本願になる時、私たちは自分で動く気力もアイディアもなくって結果、何かのミラクルに縋る。ミラクルはそれが確実に起こると信じられている人にしか起こらないということもお伝えしておきます。だって自分が信じていることが現実になるのだから、起こればいいな、イヤ無理かも、イヤ起こってもらわないとと行ったり来たりしている人には起こらないのは世の常。
その② : あなたなしでは生きていけない
米国シンガーのマライア・キャリーの代表曲の一つ『Without You』あなたなしでは生きて行けないっていう歌に何てロマンティック♡って恋焦がれていた当初。素敵な曲なんですが、今思うと?????私ちょいと依存したかった寂しんぼだったんだなって思う。
日本人が言うフレンチー像の一つに恋愛至上主義とか、いくつになっても恋愛をするというのもありますがこれも素敵ですが、度を過ぎると独りでは心が不完全でその隙間を埋めてもらうという依存になってる人もいるのかも。
恋愛は素敵ですがまずは自分が自分で100%満たされて、パートナーがいるとなお良し&楽しの視点が通常モード。英語のラブソングや恋愛映画のキメ台詞でよくある『You complete me』がいい例。一人では完全無欠ではなく誰かがいることで完全になる。これって一見ロマンティックだがもともと私たちは過不足のない完全なる球体がデフォルトですからね、この時点でなんかおかしな方向に行ってる感あり。以前そんな記事を書きました ☟
足りないとかこれがあれば幸せとか安心という視点はこの世のビジネスキャンペーンでもあります。じゃなきゃ物やサービスが売れないからね。
- もっと痩せれば
- もっと美しくなれば
- いざという時の保険を
- これを持っていればイケてる人の仲間入り
- こう生きていれば大丈夫
- イケてるパートナーを選べば安心
こうやって私たちは不完全と思い込ませられていたのだなw
その③ : 傷つけられました
人間関係などで結構繊細な方や優しい方は特にそう思うかもしれない、失礼な方からの扱いに対して一般的にこう思うでしょう。
ひどい。あの人のあの言葉に傷つけられました。
私も昔やっていた。でも何回も言うけれど、このベクトルは内側が外側の現実に反映しているとは逆走している。その失礼な一言に悲しむとか怒るという状況を創り出しているのは自分だから。自分が大事に持っている信念、例えば私の周りはイヤな人ばかりなのか、私は他人から雑に扱われるなのか、いろいろありますが、それに気づいて『じゃあどう在りたい?』を放たないと状況は変わらない。
誰かによって傷つけられるというのは存在いたしません。自作自演なので。
他力本願では人生漂流記/自分に全権を取り戻す
私たちはずーっと自分は非力だと信じていたのかもしれない。社会や他人からあらかじめの定型モデルを与えられることに慣れてきたからね。Should・Mustの枠が自然と決まっていてそれが自分にマッチしていて楽しいのならそれでいいと思います。でももし何かがおかしいとかもっと違うことがあるのかもしれないなと思ったらそれはあなたにとってはマッチしていないという意味です。他を探りましょうね。本来私たちは自由に人生を好きなように創り上げることができるはずですから。
自由といってもそれぞれの人で定義が違う。元々仏教では自由とは『本来の自分自身に由る (よる)』という意味で、周囲の影響や他人の影響を受けず、全部本来の自分で在り、本当の自分軸で生きること。自由って実は自己完結なんですよね。他力本願では本当の自由は感じられない。何かを与えてくれたから、勝ち取ったから自由ではない。私はこの仏教の定義を採用している。
愛だって豊かさだってそう。愛を感じるのは与えてくれたから好きになってくれたからではなくって自らが先に感じるからそれに呼応する。全部自分。全権自分に取り戻す。力があるんだって気づくことが自分の人生を生きるということじゃないのかしらん?
今回お話した、ロマンティック&ドラマティック幻想は全てベクトルが他人や外ありき。自分は不完全という妄想です。足りないは足りない現実を創り出しますからね。要注意です。ベクトルを全部内側へ戻そう。そっからがスタートだ♡
最後までお読みいただきありがとうございます。